当店について
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当店について
平井塗装は1967年創業の、3代続く塗装専門店です。
平井塗装が設立する前は、初代(祖父)は呉の色んな塗装店や工場での仕事をしていました。当時は、仕事がたくさんある時代だったので、色んな会社に勤め仕事に困る事はなかったようです。
その後、人の下で働く一人の職人としてではなく、一人親方として初代が38歳の時、個人店を作ったのが平井塗装になります。会社を作った後も、ある工場での仕事を下請けとして任されて働いていました。
その後、平井塗装の2代目となる父と、伯父も同じように工場で仕事をするようになります。昭和62年には、当時勤めていた工場の経営状況もあり、仕事を辞めざるを得なくなります。それから本格的な建築塗装への道を歩む事になり始めます。
まず、会社を自分達で経営するには、営業がいなくてはいけません。その役目を伯父がすることになり、現場は祖父と父が主に担当していくようになりました。但し、工場での金属系の塗装ばかりしていた為、当時は建築の塗装に関しては素人でした。だから、試行錯誤を重ねて苦労していたようです。
その結果、2代目である父が吹き付け塗装から足場の組み方、防水工事まで独学で学び、色んな建築業者の下で下請けとして腕を買われるようになり、安定した経営ができるようになってきます。また、当時二十歳で平井塗装に入社した若い職人も加わり、主に4人で仕事をするというスタイルに変わってきます。
当時は、下請けのさらに下の下の曾孫請けの仕事が多く、新築の建物にリシンやスキン、タイル吹き付けばかりで、月に20棟以上(新築)をこなす日々も普通の事でした。ほぼ、一日半で一棟のペース(当時は新築ばかり)になります。
それでなければ、赤字になるような仕事ばかりでもありました。とにかく、がむしゃらに仕事をしてきたので、残業は当たり前、休み無しで仕事をしたりというのは日常的でした。
時代は流れバブルが終わると、付き合いのあった地場の建築会社の倒産が多くなってきました。
昔は曾孫請けの仕事が多かった平井塗装も、2009年頃には下請けの仕事ばかりで経営していましたが、それでも経営が難しくなって来た頃、3代目となる私が主に営業として家業を継ぐことになり、それと入れ替わりくらいで祖父も引退することになります。
また、10代から塗装をしている私の弟も現場である程度仕事ができるようになっていて、この頃から、徐々に営業努力が実りだし、自社が元請けとなる直営の仕事が増えてくるようになります。
現在の平井塗装は、9割以上の仕事がお客様から直接ご依頼頂く仕事となり、それには施工後のお客様からご紹介頂く機会も増え、そういった地域の方々の支えもあり経営が成り立っています。
実家の平井塗装を継ぐ前の私は、大学を卒業し、普通にサラリーマンをしていました。
そんな私が、実家の仕事を継ぐようになったのは、父から相談されての事です。
その背景には、下請け中心の仕事をしていた平井塗装も、付き合いのある元請け業者の減少や、なかなか単価の合わない仕事も多く、そんな中での経営が非常に苦しくなってきた事からでした。その現状を知り、私も色々と葛藤はありましたが、悩んだ末に実家の仕事を継ぐ事を決意します。
実家の仕事を始める事になった私は、まず塗装の仕事を知る為に、現場で仕事を覚える事から始めました。
全くの素人だった私も、父や職人達と仕事をしていくことで、徐々に塗装の仕事を理解するようになってきます。
そんな私は、父から塗装の仕事をバリバリ頑張る事を期待されるよりも、平井塗装の経営の為に、知恵を絞る事に専念する事を期待されていました。
それは、どうやって仕事を受注していくかという事です。
当時は、伯父が元請けとなる業者との付き合いを作るという守りの姿勢での経営でした。過去はそれで経営できていましたが、当時は売り上げが足りない月もあったりと、経営に本当に頭を悩ませていました。
私はハウスメーカーで展示場営業を2年間行っただけの経験しかなく、決して優れた営業マンではなかったし、いきなり畑違いの分野で、塗装の営業って何をすればいいんだ!?という気持ちでいっぱいでした。
とりあえず、伯父の真似事をしてみようと考え、業者廻りを行いました。
不動産屋とか建築系の会社に、何度もチラシを作っては回ったりしましたが、やり方が悪いのか、効果はゼロでした。
正直その頃は、世の中が全て自分の敵のようにも感じてきて、サラリーマンやってた方が良かったじゃないかと悩んでばかりの日々でした。そうしていると、業者廻りをするのが嫌になって、頭がおかしくなったのか、とりあえず一般住宅を訪問していこうと考え、やけくそになって訪問を始めます。
もちろん、そんな営業をした事は一切ないし、知らない人の家にいきなり訪問して塗装の仕事なんか取れるわけないだろ、と内心はそんな気持ちでいっぱいでした。ただ、一般住宅の劣化状況を見ながら、地元を足で回るという行為が最初はとても新鮮で、当時は20代中盤で体力もあったのもあり、山や坂の多い呉の地を自分の足で毎日休みなく、朝から晩まで回っていました。
それは非常に勉強にもなりましたが、気が遠くなるほど先が見えず、もうどうでもいいや。という気持ちも常にありました。
当時のチラシです。ハウスメーカー時代に、自分を知ってもらう事が大事と教えてもらった事から、自分の事をチラシにしてました。
現在はこういうチラシは使っていませんが、なぜか当時のチラシはたった一回入れただけなのに、7年目くらいまでこのチラシで声を掛けて頂く事がありました(^-^;
少しでもチラシを見開いて頂こうと、あえてチラシを2枚重ねにして、
塗装に全く関係無い情報も入れていました(笑)
そんな活動をしている中で、やがて一筋の光が見えてきます。
その時は、以前当店が下請けである集会所を塗装させてもらった現場があり、それをネタにし近くを訪問していました。相変わらず手応えはありませんでしたが、ついにあるお客様と出会ってしまいます。それは、当店が施工した集会所を管理されていた方でした。ちょうど自宅も塗り替え時期というのもあり、集会所の塗装は良い仕事をしていると印象強かったようで、そのタイミングがぴったりだった事から、話を聞いて頂ける事になりました。その経緯から、それだったらという事で、初めて見積のご依頼を頂きました。本当に偶然の一致でした。
その日は、うれしくて、うれしくて、家に帰りすぐ報告しました。その現場は、私の初めての現地調査でして、次の日、父と一緒に現場を見て回り、その一週間後に塗装見本を作って見積提出をしました。結果、仕事をご依頼頂く事になり、私の初めてのお客様となりました。施工完了後、今までに無いやりがいを感じたのを覚えています。
それがきっかけとなり、訪問も無駄ではないのだと考え、とにかくがむしゃらに活動してきました。ただ、ポリシーがあり、よく聞く飛び込み営業のようなしつこく、強引な営業は一切行う気は無く、とりあえず自分を知ってもらうような営業をしていこうと考え、その為、訪問の質よりひたすら数を回る努力をしました。
地元近辺の塗装時期の家を一軒一軒回るだけで、半年かかり、とにかく辛かったけど、努力の甲斐もあり、その1年目は7軒のお宅を当店で施工させて頂きました。その後も私には、これしかないと考え、2年目も雨の日以外はほぼ毎日、同じ活動を続けましたが、エリアも遠くなってきたのもあり、1年目と同じ7軒が限界でした。3年目になっても、まだまだ呉で回れていないエリアもあるので、同じような活動を続け、その年は色んな縁もあってか、15軒近く施工させて頂きました。今までに無い成果でしたが、この頃からこの活動ばかりで受注していく事に限界を感じ始めました。
塗装の仕事を選んだ以上、この道は生きてる限り続くわけだし、こんな一か八かみたいなやり方だけでは将来の展望は経たないし、どうしたらいいんだ!?と再び大きな壁にぶち当たりました。また、次の年は伯父も引退し、それにより営業対応は私だけとなり、という事は直接ご依頼頂くだけの仕事をひたすら受注し続けるしかなく、その重圧が全て自分にかかっているんだと思うと、おかしくなりそうでした。
ですが、徐々に施工後のお客様からのご紹介も増えてきたり、異業種交流会に参加してはアイディアを頂いて、それを実行してみたりと、色々と試行錯誤していくなかで、仕事を受注しなければという苦しみは無くなってきました。
様々な経験を得て、現在は大変ありがたいことに経営は安定するようになりましたが、日々精進する毎日に変わりはありません。
私は塗装の仕事に一番手間を掛けれるのは、小さな個人店であると考えていますし、塗装店は大きくし過ぎる物ではないと考え、地道に目の行き届く範囲で活動しています。
この看板があるのが自宅でして、ここから50m先を左に曲がった所も、当店の倉庫兼事務所です。
事務所と言うか、倉庫ですが(^_^;)
突然訪れられるお客様がいますが、当店は事務の人間がいる訳ではないので、ご連絡頂ければと思います。
当店は、自社で足場を組んで施工する事もあります。
足場資材
手塗りだけでなく、吹き付け工法など、多種多様な施工に対応しています(^_^)/
塗料・道具置き場
チラシも全て自作で、無駄ができる限り無いように考えて活動しています。
外壁の色決めの際は、上のような塗装見本をお作りします。カラーシミュレーションにも対応。
足場仮設後は自社名の看板を張って作業しています。完全自社元請けの仕事にプライドを持って施工しています。
会社名 | 平井塗装 |
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所在地 | 呉市広町田二丁目8-33 |
事務所所在地 | 呉市広町田二丁目8-47 |
連絡先 |
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代表者 | 平井 友司 |
設立 | 1967年 |
企業理念 | 呉の地から、広島県を彩る ~塗装を通じ、地域の輪を広げていく企業を目指します~ |
事業内容 |
建築塗装に関するものは全て当店で施工できます。 塗装工事以外で対応可能な工事 左官工事 / 大工工事 / 板金工事(雨樋交換含む) / 電気・設備工事 / |
主要取扱い塗料メーカー |
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資格取得 |
国家資格:一級塗装技能士 |
定休日 | 年中無休 (現場は日曜日休みです) |
営業エリア | 広島県全域 広島県内の塗装工事はどの地域でも対応致します。 広島県以外の場合でも、お気軽にご相談下さい。
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全ての塗り替えを、個性あふれるこのメンバーで施工させて頂きます。
資料・ホームページ作り 力仕事 塗装の情報収集
養生(自分不器用ですから(-_-;))、わざとらしい笑顔、営業
ドライブ 食べ歩き 映画・ハードロック好き
お客様からのお問合せには、必ず私が対応致します。
主に、外回りで動いている事が多いですが、現場で施工する事もありますので、その経験を生かし、現場的な提案をさせて頂いています。
少し自己紹介となりますが、生まれも育ちも呉市広で、根っから地元人間です。
中学は広中央中学を卒業、高校は呉港高校を卒業し、大学は、広島工業大学の環境デザイン学科という建築分野の学科を卒業しました。
卒業後は、大手住宅メーカーの子会社で、建築CAD積算というデスクワーク職を2年、ハウスメーカーで2年間営業職に携わり、現在に至ります。
因みに1981年4月7日生まれのO型で、身長170です(^_^;)
メンバーの中で、一番塗装歴は浅いですが、小さい頃から父に誘われて仕事の手伝いをしていた経験もあります。
正直、自分がこの仕事に就くとは想像もしてませんでしたが、前々から父に相談されてた事もあり、時間は掛かりましたが、実家の仕事を継ぐようになりました。正直、サラリーマンとして働いていた時より、大変だと思う事の方が多いですが、その時よりもやりがいと、面白みがある仕事だと今では思います。
私が小学2年生くらいの頃から、父や祖父と一緒に働き始め、かれこれ30年くらい在籍のベテラン職人です。
オールマイティーに何でもこなす
一級塗装技能士(国家資格)
控えめな紹介で勘弁して!!
私の弟ですが、現場歴は長いので、塗装に関しては私よりも先輩になります。
マスチックローラー(手塗り)シーリング打ち
車・バイクの改造、ゲーム、筋トレ少々
一級塗装技能士(国家資格)
口数は少ないですが、仕事はお任せ下さい。宜しくお願いします。
外壁塗装はもちろん、内装や木部塗りのエキスパートでもあり、大ベテランです。話し易い人柄で、お客様からも好評です。
ローラー・刷毛塗り
塗装の事ならはお任せ下さい。きれいに蘇らせます!!
私の母です。私が子供の頃から、父と一緒に現場に出ていたので、養生は得意分野であります。最近は、現場に出る事は少なく、事務仕事が主です。
養生 塗料のネタ番 事務仕事
ドラマ鑑賞等、安芸郡熊野町出身です
何でも口に加える癖があります。
朝の散歩は、私が毎日担当している、シーズー犬です。納豆大好き。ホームページ内では、度々現れますが、宜しくお願い致します。
〒737-0104 広島県呉市広町田2-8-33
0823-90-9055
[受付時間]8:00~20:00(年中無休)